募金に関して
2011年04月16日 16:23
作者:関根凌
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生きる

初めまして、関根凌と申します。 今回の東日本大震災 被災された方に、これ以上の被害が出ないことをお祈り申し上げると共に、 まだ見つかっていない方が、一刻も早く家族の元へ帰れるように願っております。 私の作品、「生きる」、そして「拝啓、遠方の同士へ。」 私のスタイルで書かせていただきました。 少しでも皆様の心に響いてくれると有り難いと思っております。 見えないゴールはありません。 one for all,all of the one. 皆で一緒にゴールまで走りましょう。


 僕には親友がいた。彼は一八歳でこの世を去った。
 彼と出会ったのは小学校に入学した時だ。明るい性格だった彼に、人見知りする性格であった僕は何度助けられただろうか。僕達はいつでも一緒だった。
 僕は、悩みやすい性格でもあった。小さなことでくよくよ悩む男だった。そんな僕をいつでも真剣に励ましてくれたのも彼だった。彼が悩んでいるとき、僕は応えられていたのか、今となっては分からない。

 今でも覚えている、僕達が中学二年の夏休みのこと。二人で祭りに出かけた。出店で買い食いしたり、花火を見たり、帰りに彼が自分も花火がやりたくなったと言ってコンビニで花火とライター、バケツを買って河原で遅くまで花火をして帰ったり。いや、帰るはずだったのだ。

 河原から土手に上がってしばらく歩くと少し広めの道路に出る。そこの歩道を並んで歩いた。下らない話をしていた。先生がうるさい、とかクラスの誰と誰が付き合ってる、とかそんな話だ。ある時、僕がくるっと回って後ろ向きに歩き始めたのだ。別に特別な意味があったわけではない。ただその瞬間の彼の顔が忘れられない。いきなり顔が青ざめて真剣な顔つきになったのだ。そして僕は強い力で突き飛ばされた。反射的に体を回転させて顔面から地面に倒れこんだ。ひどく額が痛かった。手で確認してが血は出ていなかった。そういえば倒れるとき、ものすごい音が聞こえたような気がした。体を起こして文句を言おうと振り返るとそこには彼はいなかった。そこにあったのは、車だった。

 すぐに駆けつけてきた人が呼んでくれた救急車に乗り、近くの病院に運ばれた。彼の両親もすぐに駆けつけた。僕は必死に謝った。僕の助けてくれたことを。彼の両親は僕に謝ることはないと言ってくれた。だけどその顔に余裕はなかった。あるわけがなかった。

 手術が終わり、医師の話を聞いた。彼の命に別状は無かった。ただ後遺症が残った。下半身不随。彼はもう、歩けないのだ。
 意識が戻った彼にあった。僕を見るなりいつもの明るい顔をして、参ったよ、もう歩けないってさ、とまるで何事もなかったかのように笑った。僕は、泣いた。泣いて謝った。

 僕のせいで彼は歩けなくなった。彼の人生を狂わせたのは僕だ。情けなく、自分に苛立ちを覚えた。足を換えて上げられるものならば換えてあげたかった。
 彼はそんな僕を優しく声をかけた。泣くな、お前のせいじゃない。突き飛ばして悪かった、と。何故彼が謝るのか、分からなかった。
 彼はリハビリを受けた。決して歩けるようになるわけではないが、少しでも足に力が入れられれば少しは生活がしやすくなるからだという。僕は付きっきりでリハビリを手伝った。今まで彼に助けてもらってばかりだった。今度は僕が手を差し伸べる番だ。

 彼は諦めなかった。自分の融通の利かなくなった体を。「生きる」ということを。絶対に諦めなかった。
 僕は親にこのことを話し、僕の貯金と少しの援助を受けて一台の車椅子をプレゼントした。この時彼は僕の前で初めて泣いた。

 彼は約半年の入院生活の後、退院した。それまでの学校での授業は自分のノートそっちのけで彼の分を取った。そして一週間ごとに彼の病院に持っていっていた。周りの友人や先生が手伝うと言ってくれた。有難かったが、全て断った。これは僕がやらなきゃならないことだから。もしかしたら、僕の自己満足かもしれない。でも、これは僕の、彼に対する恩返しなのだ。

 彼の退院後も僕は彼に付きっきりだった。登下校も、校内でもずっと車椅子を押していた。飯の用意も、授業の準備も全て僕がやった。周りがどう感じていたかは分からない。ただ、今の僕にできることはこれだけなのだ。
 ある時、彼が僕に言った。俺はお前に生かされてる。だから絶対に諦めない。生き抜いてやる、と。

 僕は答えた。だったらお前を一生サポートする、と。
 そんな彼がまた事故にあった。自宅にだれもいないからこっそり自力で車椅子を漕いで出かけたら、坂道でブレーキが利かなくなったらしい。事故を起こした車の運転者が、車椅子の少年がすごい勢いで飛び出してきた、と言った。僕は最初信じられなかった。運転者に詰め寄りたかった。しかし目撃者もいたらしく、結局、悪いのが足に不自由を抱えていた彼ということになってしまった。

 最後まで、最後の最後まで、彼は生きることを諦めていなかった。車椅子のブレーキ部分がありえない位擦り切れていたのだ。彼は懸命にブレーキをかけたのだと思う。死ぬもんか、死ぬもんか、と。

 彼の葬式に出て、彼の両親に挨拶をしたとき、礼を言われた。君がいてくれたから、ここまでこれたのだ、と。僕は悔しかった。生きたいと願う彼を守れなかったこと。僕があの夏の日に、後ろなんか向かずに歩いていれば、こんなことにはならなかった。

 彼の遺影に目を向けた。彼は微笑んでいた。彼に会うことはもう出来ない。だから僕は心に誓った。
 彼の分も、僕は生きる。これからも、支えの必要な人の杖になって生き抜いてやる。
 死のうとしてる奴を殴ってやる。殴って生きる道に戻してやる。
 落ち込んでいる人に手を差し伸べよう。いままで僕が彼にしてきてもらったように。
 誰かの支えになって生きたい。
 だから僕は生き抜いてやる。