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2011年05月05日 17:46
作者:ransu521
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『生きる』

はじめまして、ransu521と言う者です。この度の震災によって被災された方々に、心よりお見舞い申し上げます。私は直接現場に行って何かをすることは出来ませんが、少しでも私の力で何かを出来たらいいなと思っていたところに、『小説家になろう』にてこの情報を掴み、こうして企画に参加することにいたしました。平穏な日常が享受できることのありがたさ。そんな日常が突然崩れてしまうかもしれないと言う可能性。震災が起きてしまった今、改めてもう一度『生きる』ことの大切さを考えて頂けたら幸いだと、私は思っています。

『生きる』。言葉にしてしまえばとても簡単なことだが、実際にはとても難しくて、とても重い言葉だ。ただ何もせず毎日をダラダラと過ごしてきても『生きる』だし、何かの目標に向けて努力する日々を過ごすこともまた『生きる』だ。そして、誰かの為にその身体を酷使し続けていく日々を過ごすのもまた、『生きる』と言えるのだろう。
 だが人の命は無限ではない。いつかは寿命が来て、死に至る。
 そのことが当たり前となりすぎて、人々は命の大切さを、『生きる』ことの大切さを忘れてしまっているのかもしれない。
 幸か不幸か、テレビや新聞でこの頃東北大震災の話題が取り上げられているのをよく目にする。被災地では、何人もの人が死に、何人もの人が未だに行方不明だという情報が何回も繰り返し報道されている。家を失った者もいて、未だに避難所暮らしをしているらしい。心に深い傷を負い、何度もその日のことを思い出しては、夜な夜な涙を流す者もいるらしい。
 それだけ、今回の大震災の規模は大きく、また人々の心に大きな傷跡を残したのだ。
「けどよ、その大震災のことと、生きることがどんな関係があるんだよ?」
 尋ねてきたのは、一人の茶髪の少年―――俺の親友の前原敦志だ。
 敦志と俺は昔からの馴染みであり、今では同じ部活に所属している。その部活というのは、俺達二人の他にも後五、六人所属しているだけの小さな部活であり、こうして何回か部室に集合して、一つの議題を決めて話し合うという、いわば『哲学部』だ。
 だけど、今日集まったのは敦志と俺の二人のみ。みんな今日はそれぞれ用事があるらしく、集まりがかなり悪かった。結局、部長である俺と、副部長である敦志だけが集まったということだ。
「関係大ありだ。大震災のニュースが流れているおかげで、こうして俺達は『生きる』ことについて考えることが出来たじゃないか」
「生きること、ねぇ……けど、それって結局答えなんて見つからない議題なんじゃないか?」
 敦志は椅子に座って前後にユラユラと揺れながら、そう答える。
 確かに敦志の言う通り、『生きる』ことの意味に対する答えなんてない。いくら導き出そうとしても、万人共通の答えなど見つかるはずもない。人の生きる意味は人それぞれに存在する。だから答えも人の数だけ存在していいものなのだ。
「まぁな。けど、俺達は俺達なりの答えを見つければそれでいいんだよ。とりあえず久しぶりに二人きりなんだからさ、ゆっくり語り合おうぜ」
「ま、そうだな」
 敦志は納得したように返事をした。
 さて、ここからが部活の始まりだ。
 俺は部室に備え付けられているホワイトボードの前に立ち、黒いペンを用意する。その蓋をポンという音を立てながら開け、ボードにペン先を走らせる。黒い文字に汚された白い板には、
『本日の議題「生きる」』とだけ書かれていた―――というか、俺が書いたのだ。
「さて、これより哲学部の活動を始める」
「はいよ。んじゃ速水隆二部長、まずは部長の意見からお願いします」
 敦志に名前を呼ばれる。俺―――速水隆二は早速自らの意見を出した。
「まずは、俺の意見だ。俺は『生きる』こととは、誰かと共に道を歩むことだと思っている」
「ほう。誰かと共に道を歩むこと、か……なかなか興味深い答えだな」
「お褒めの言葉どうも。それじゃあどうしてそう思っているのかを理由を述べようと思う」
 俺はまず前置きを置いた後、そう思った理由をこう説明した。
「人は誰かの支えがあってようやっと生きていける生物だ。始まりから終わりまで、誰かの支えがなければ、人間は生きていけない」
「誰かの支えがなければ生きていけない? それじゃあ一人暮らしをしてる奴らとかどうすんだよ。誰の助けも入らないじゃないか」
 その疑問が来ることはすでに予測していた。もっとも、敦志のその疑問は単なる言葉遊びにしか過ぎないだろう。『人間は誰かと共にいなければ生きていけない』、なんて仮説を出した途端に、『それじゃあ一人暮らしをしてる奴はどうなんだ?』という疑問を吹っかけてくるなんて、そんなのマナー違反だ。というより、何も考えていないとも思える。
 だが敦志は、その疑問がマナー違反であることを分かった上で、俺にそう尋ねてきた。それは単に話の幅を広げようとしているだけではなく、この場にはいない部員の役割を敦志が担ってくれているだけだと、俺は即座に気付いていた。
「一人暮らしの奴だって、親の支えがあって生きている。お金を稼ぐ上で、その働き先の人に生活を支えてもらっている。そしてソイツは、働くことで雇い主のことを支えているんだ」
「雇い主のことを支えている? つまり互いに助け合ってるってことなのか?」
「そういうことだな」
 そう、人と言うのは助け合うことで生きていける生物なのだ。だから俺は前置きとして、『誰かと共に道を歩むこと』という言葉を置いたのだ。
「例えば今回の災害の例を出してみよう。まぁあまり出したくはない例えではあるが……被災地では多くのボランティア達が、被災者のことを支えているという。それは救援物資であったり、心のケアであったり、津波によって家に紛れ込んできた泥の掃除であったり」
「ああ、それ全部ニュースでやってた奴だな。確かつい先日、ボランティアの為に旅行会社がボランティアツアーとか計画したんだっけか?」
「よく知ってるな。実は俺達の学校でもそのツアーに参加しようとしてる奴がいるらしい」
「へぇ。なかなか物好きな奴もいるもんだ。俺なんか目の前の生活をどう平穏に暮らしていこうか考えることで忙しいのに」
「どうせ放課後何処に寄ろうか、寄り道場所でも探っているのだろう?」
「あれ、バレた?」
「当たり前だ」
 一通り無駄話を終えた後で、敦志が口を開く。
「けど、平穏な暮らしなんて本当にいとも簡単に壊れてしまうものだよな」
「そうだな。よく『こんな惰性な毎日、つまらない』なんて言う奴がいるけど、ソイツは平穏な日常のありがたさを知らないんだな」
 毎朝目覚まし時計の音で目が覚めて、少しダルい身体を無理矢理起こして、着替えて身支度をして、リビングへと向かう。台所では母親が朝食を作っていて、テーブルの上にはすでに焼かれたパンが一枚乗っかった皿が用意されていて、その隣には、恐らく目玉焼きが乗せられるだろう皿も用意されている。コップには牛乳が注がれていて、椅子に座ると同時に、母親が『おはよう』と言いながら目玉焼きを皿の上に乗せる。そして用意された朝食を食べた後に、皿を母親に預け、学校に行くのだ。学校にはすでに友人が待ち受けていて、先生が来るまで駄弁る。先生が来て朝の連絡をした後、授業が始まる。昼休みには友人と共に食堂に向かい、定食メニューを食べる。そこでも無駄話をしながら、ゆっくりと食事を進めていく。その後には午後の授業が待ち受けていて、それが終わったら部活だ。部活を終えて、家に帰る。自室へ行き荷物を置いて、朝も訪れたリビングへと足を運ぶ。そこにはすでに父親もいて、いつの間にかテーブルの上には夕食が並べられていた。決して豪華ではないが、それでも全然美味しそうな食事。食事を終えたら、自分の部屋に行き宿題を済ませる。その後風呂に入り、ベッドに入って眠るのだ。これはほんの一つの例えにしか過ぎないが、それでもこんな日々こそ、平穏な日常とも言えるだろう。
 それの何処に、不満がある?
「まったくもってその通りだな。震災に遭った人達は、そんな当たり前の幸せすら奪われてしまったというのに……贅沢な悩みだ」
「贅沢な悩み、か。そういう表現もありだな。流石は敦志」
「褒めても何も出ないぜ?」
「だろうな」
 こうして敦志と駄弁れるのも、平穏な日常を享受出来るのも。
 すべて誰かのおかげなんだと思うと、俺は少しばかり余計に誰かに感謝をしたくなる。誰でもいい、とにかく『ありがとう』を言いたい。そんな衝動に襲われる。
 だからと言って、今すぐ目の前にいる敦志に『ありがとう』と言うわけではないが。
「さて、とりあえず俺の方の意見提示は終わりだ。次は敦志から」
「俺も出すのか……そうだなぁ……」
 手の上に自分の顎を乗せ、考える素振りを見せる敦志。
 そして何かを思いついたらしい敦志が、
「途中まではお前と同じ意見だ。だけど、それにちょっと付け加えたいことがある」
「付け加えたいこと? 何だ?」
「『生きる』ってのは、命の意味を他人に教えることだ。これは他人と共に道を歩むことと少しリンクした話になるかな」
「命の意味を他人に教える? それは一体どういう意味だ?」
 敦志が言ったことは少し分かりにくかった。こうして意見として提示するということは、そんなに簡単なことではないことはすぐに想像がつく。だけど、それ以上は何も思いつかなかった。
「なに、簡単なことだよ。赤ちゃんとして生まれてきてから老人になって死んで行くまで、人は意味もなく生きているわけではないということだ」
「赤ちゃんから老人になるまで、すべてに意味があるということか?」
「正しくは、赤ちゃんとして・親として・老人としてという三段階かな?」
 三つの段階に分かれて、命の意味を他人に教える……それはつまり、どういうことなんだろうか。分からないことを考えた所で、答えは見つからない。まずは意見提示をした敦志の言葉を聞く以外にないだろう。そう思った俺は、敦志の言葉に耳を傾けることにした。
「まずは赤ちゃんだ。赤ちゃんとして、命の重さ・生まれることの喜びを両親に教えるんだ。よく『命を大切にしましょう』って小学校とかの道徳の授業で習うだろ? 同じようなことを、言葉ではなく姿かたちとして、赤ちゃんは親に教えるんだよ」
「つまり、生まれてくる命を育てるということの重さを、赤ちゃんが『教える』ってことだな?」
「そういうことだ。別にそこの言葉はいらない。大切なのは、『生きている』っていうことなんだからな」
 育てるということの重み。自分も抱えている『命』ということの重さ。『生きる』ということの意味。その第一歩を、赤ちゃんとして誰かに教えるのか。敦志は両親にと言ったが、子供がいる家族なら、その子供にも教えることになるのだろう。
「次に、両親として、だ。両親として、新たなる命を誕生させるんだ。赤ちゃんが生まれることは自然の摂理だ、なんて思ってる奴もいるけど、本当はそんなことはない。赤ちゃんが生まれるっていうことは、それだけで立派な奇跡なんだ」
「妊娠したら、赤ちゃんが生まれるって考えてる人もいるけど、流産してしまう人だっているってことだな?」
「そう」
 敦志の意見は、本当に参考になるものばかりだ。
 多少言葉が足りない部分はあるけど、その足りなさこそ、考えさせるのに十分すぎるものなのかもしれない。
「そして最後、老人としてだ」
「老人として……老人として、人間はどんな仕事をするんだ?」
 最後の『老人』が気になっていた。
 『赤ちゃんとして』とか、『両親として』というのはなんとなく想像がついた。けど、『老人として』だと何があるのだろうか最後まで思いつかなかったのだ。
 その答えを、敦志はこう言った。
「老人は、子供達に命の大切さを、言葉で伝えるとともに、言葉ではない形で伝える」
「言葉で伝えて、言葉でない形で伝える?」
「つまり、老人は二つの行動を起こすことが出来るってことだ」
 二つの行動。
 その意味はよく分からなかった。
「さっき言った通り、老人は『言葉』という形で『生きる』ことの大切さを教えることが出来る。それは語り手となって、自らの経験を教えるということだ。自分はどうして生きているのか。生きるとはどうすることなのか。それらを子供達に伝えるんだ」
「……それで、言葉ではない形では、何を伝えるんだ?」
 俺がそう尋ねると、敦志は少し言いにくそうな表情を浮かべる。その歪んだ表情で、俺は敦志がこれから少し重いことを言うのだと悟った。
「……人の『死』。命の大切さを、命を失うことの悲しさを、老人という形で教えるんだ」
「命を失うことの悲しさ、か。それなら、死にゆく人間にも意味があるということになるよな?」「もちろん老人限定ではないさ。それが例え今目の前で病気で死にそうになっている子供でも、今回のように震災の影響で津波に流されたりして亡くなった人でもそう。意味もなく『死』を迎えることなんて、決してないんだよ」
 つまり敦志は、人は生きている上で意味のない人生なんてない、と言いたいのだろう。生を授かった時から、死んでいく時まで、人は何処かに何かしらの意味を持つ。『生きる』とはつまり、そういうことなのだと。
「もちろんこれらは他人がいるから成立することだ。もし自分しかいなかったら、これらすべてのことをすることは出来ない」
「そもそも一人の状態から新たなる命は誕生しないしな」
「結局、子孫を残すにしても男と女が必要。人が『生きる』為には、他人の力なしでは無理だってことだな」
 敦志と俺の意見は出揃った。
 そこで、今回の議題に対する『まとめ』をすることにする。
「よし、意見も揃った所で、最後にこれらの意見をまとめるか」
「そうだな」
 敦志も俺の言葉に同意を示す。
 そしてホワイトボードに書かれた字を一旦消して、新たに別の言葉を書く。
 『まとめ』。
 俺は一言、そう書いたのだった。
「さて、まとめに入ろうと思うが」
「結論として、『生きる』とは他人と共に同じ道を歩み、命の大切さを学び、伝えるということでいいんじゃないか?」
「成功も失敗も、他人の力あってのこと。それを忘れちゃいけないってことだな」
「ん」
 以上の結果を踏まえて、俺達は『生きる』という議題に対して一つの『まとめ』を出した。
 ただしこれは俺達が考え出した、あくまでも『生きる』ということに対する数多ある答えの中の一つにしか過ぎない。必ずしもそれが正解ではないし、だからと言って不正解というわけでもない。
 あくまでも、これは参考程度として見てほしい。
 その結果を、左に書き記そうと思う。
 


『生きる』についてのまとめ

『生きる』とは、誰かと共に道を歩み、命の大切さを互いに伝えあうこと。
 その道は人それぞれであり、誰がどの道を歩もうが勝手である。
 だが、忘れてはならないのは、成功の道のりにも、失敗の道のりにも、そこに至るまでには誰かの力があったからだ。
 『生きる』とは、それだけで一つの奇跡なのだ。
 だから、他人を思いやる気持ちは必ず忘れてはならない。
 平穏な日常を送れるという奇跡を、享受しなければならない。
 時には、人の死に遭遇する場面もあるだろう。理不尽な死が目の前で起きてしまうこともあるだろう。
  その時後悔しない為にも、きちんと今までの日常を幸せと思わなければならないのだ。
 『生きている』自分に感謝を。
 『生きている』相手に感謝を。
 すべてのものに、『ありがとう』の言葉を。

 以上で、今回の哲学部の活動を終了する。