募金に関して
2011年04月16日 16:17
作者:春風菘
削除
削除パスワード

カフェ・ラテ・アフタヌーン

他愛ない日常には、小さな幸せは溢れています。それを見つけることが、人生の一つだと思い、私は生きています。ただそれだけの文章ですが、一人でも何かを思っていただけたら幸いです。

 それは、とある昼下がりのこと。
「……さて、と」
 男は立ち尽くしていた。
 顔には疑問と困惑が見える。その手では冷えたカフェ・ラテが水滴を纏い始めた。
 理由があった。男はいつもブラックコーヒーを飲む。決まって十二時の終わり、自動販売機に百二十円を入れる。午後へ向けて気合を入れなおすとともに、その苦みに大人を感じる。
 ボタンは押し間違えていない。そもそもブラックコーヒーとカフェ・ラテの間には微糖があるのだから、仮に間違えて押したとしても微糖までだろう。
 では何故、今男の手にカフェ・ラテが握られているのか。おそらく、一パーセントに満たない確率だろうが、自動販売機に缶を入れる時点で間違えられていたのだろう。他に考えられない。
「どうしたもんか……」
 甘いものは苦手だった。
 緑の鮮やかな初夏、涼しげな公園で一人、土曜の午後の平和で平凡なひと時を立ち尽くす男が居た。

 木製のベンチには、付いた水蒸気が滴り落ちシミを作っているカフェ・ラテと男の姿があった。プルタブを開け一口だけ飲んでみたものの、甘ったるくてどうも舌が慣れない。かといって、缶コーヒー一本分百二十円しか持ってこなかったために、一文無しである。買い直すこともかなわない。家に帰ればいいのだろうが、それはそれでめんどくさい。結局何が言いたいかというと、ブラックコーヒーの苦みが得られず、やる気が出ていないのだ。
 昼下がりの公園には、音が満ちている。少し遠くにある車の走り交う音、風が木々を揺らす音、広場で遊ぶ子供たちの声。
「はぁ……」
 そして、男が発する溜息の音。カフェ・ラテは無言のまま汗を流すだけ。
 そんなぼんやりとした空間に、ポンッ、ポンッ、と地を弾く音が響く。
 男のもとへと、ボールが転がってきた。青いドッジボール。手に取ると、それを追うようにひとつの足音と声も男に届いた。
「すみませーん」
 男が顔を向けると、快活そうな女の子が向かって来ていた。二つに結った髪、半袖のシャツとひざ丈のスカートを揺らす。くりっとした目で、柔らかそうな頬をしてた。
「ボール行きませんでしたかー?」
 少女らしい、高く愛嬌のある声だった。
「これかな」
 はい、と男が立ち上がりボールを差し出すと、男の間の前までやってきた少女は、胸当たりから見上げて言った。
「ありがとうございます!」
 ペコっと一礼して、少女は一目散に来た道を帰って行った。
「元気だなぁ……」
 平均身長程度の男は、しかしまあ小学校高学年くらいの女の子からすると大きい。傍から見れば親子にも見えただろうか、しかし男の年で高学年程の娘がいたらそれはそれで問題だろう。
 少女の背中が見えなくなってしまってから、
「子供、欲しいなぁ……。まあその前に嫁さんか」
 とつぶやきが漏れる、土曜日午後の昼下がりだった。

 結局、少しぬるくなったカフェ・ラテを飲み干し、その日は男は家路に就いた。そのぬるさが余計に男の舌には合わなかったのは言うまでもない。

 その翌日の、日曜日の午後だった。
「……やっぱりそうか」
 既視感を覚える様相が繰り広げられていた。
「絶対入れ間違えてるんだ」
 今度こそ、しっかり確認してブラックコーヒーのボタンを押した。お金を入れるときに一度、ボタンを押す前に二度だ。三回確認した上で、ボタンを押したのだ。それが何故、やはり自動販売機が吐き出したのはカフェ・ラテであった。
 男はやるせなくベンチに腰掛けた。昨日水滴で作った染みは乾ききってしまったらしい。
「調子狂うなあ……。明日にはシャキッとしないと」
 月曜からはまた仕事である。極平均的なサラリーマンであり、妻子はない。入社して幾年かが経ったが、会社の業績は上がり調子で、その実今が一番忙しい。幸福なことだ。不景気な日本社会で、給料は上がってるし仕事も順風満帆。
「……ほんと、シャキッとしないとなあ」
 せめていつも通り冷たく苦みのあるブラックコーヒーがあれば良かったのだろうが、ベンチを共にするのは甘ったるいカフェ・ラテである。飲めばますます力が抜けるだろう。
「つっても、どのボタンがブラックか分からないしなあ。金ないし」
 日曜日の昼とあり、公園にはいつも以上にのどかな空気が満ちている。ベビーカーを押し歩く主婦であったり、ランニングをするご老人であったり。近所の小学生は遊具で遊んだりボール遊びをしたりと賑やかで、他のベンチには静かに読書を楽しむ大学生らしき姿も見受けられる。
 一つため息をついたところで、ガサガサと草木の音が男の後ろで鳴った。ずいぶんと下から聞こえる音に、男は振り返ると、
「なんだ、猫か」
 一匹の三毛猫だった。
 猫は男を見上げると、少し間を置いてベンチに飛んだ。男を怖がる様子もなく、じーっとカフェ・ラテの缶を見つめていた。
「首輪付いてる。飼い猫かな」
 シンプルな赤い首輪だ。飼い猫なら、まあ人懐っこいのも分かる。
「カフェ・ラテ、いるか? ……って、飲ませていいのかな」
 三毛猫は二、三分ほどしてまた茂みの中に戻っていってしまった。男は再び、一人ベンチに腰掛けてぼんやりする。
 そこに、次は一人の少女が走って現れた。健康的な肌をした、二つ結いの髪の女の子。
「あのっ」
 男の前で止まって、一呼吸してから問う。
「すいません、この辺で猫見ませんでしたか?」
「猫? ついさっきまでここにいたけど……三毛猫だったかな」
「真っ赤な首輪をしてませんでしたっ?」
「うん、してた」
 少しばかり、少女の頬が緩む。
「えっと、お兄さんって今お暇ですか?」
 男はすぐに察した。あの猫はこの女の子の飼い猫かなにかで、逃げ出してしまったのだろう。そのへんの詳しい事情は分からないけど、探すのを手伝って欲しいということだろう。
 男は、ちらりと共にベンチに腰掛けるカフェ・ラテを見やる。相変わらず汗をかいている。
 結局カフェ・オレは置いて、男は立ち上がった。どうせすることのない暇な日曜の午後だ。いい気分転換だと思って、男は少女を手伝うことにした。
「お兄さんありがとーっ」
 正直、お兄さんだなんて呼ばれて内心嬉しいのだった。
「おーい、みー太ぁー」
「みー太?」
「うん、猫の名前。みー太ってばー、いたら返事してー」
 三毛猫のみー太か。
「みー太ー」
 二人して公園の茂みをかき分けていく。気の早い蝉が鳴き、木漏れ日が暑い。
 男にとっては、どこか子どもの頃を思い出させる。こういった自然に囲まれてよく遊んだな、と懐かしく思っていた。虫網を持って友達と走り回った記憶。それが頭をよぎるだけで蝉の声が心地よく聞こえてくる。
 少女はというと、そういえばこの男の人は昨日も見かけたなと思い出していた。確かボールを取ってくれた人だと。昨日も今日も同じ時間同じ場所にいて、一体どんな人なのか気になった。猫ならそのうち見つかるだろうと投げやりになり、どちらかというと男に興味を持ちだした。
「全然見つかんない……」
 少女はぼやく。だんだん疲れてきたのは男も同じで、額の汗を拭いながら応える。
「そうだね……。ちょっと休憩する?」
「うんっ」
 始めのベンチに戻って、二人して腰掛ける。
 案の定ベンチには水の染みが広がり続けている。誰にも盗られずにこいつはベンチに座ったままだった。
「あの、お兄さんは何をしてる人なんですか?」
 率直に尋ねた。
「ん、ただのサラリーマンだよ。毎日偉い人に頭下げてるだけかな」
「ふーん。大変?」
「まあね。でも大人なんてそんなもんだと思うし」
「うちのパパも毎日朝早くからお仕事だけど……そっかー。大変なんだ」
「だから僕も、毎日ここでお昼にコーヒー飲んで頑張ってるんだけど、なんでかコーヒーのボタン押してもカフェ・ラテが出てきてさ。困ってるんだよね」
 男は缶の側面をを指でなぞりながら、汗を拭うかのように水滴をたどる。
「お兄さんカフェ・ラテは飲めないの?」
「飲めないっていうか、好きじゃないんだよね」
「美味しいけどなー。あんま苦くないし」
 そりゃあ少女の味覚と男の味覚は当然違う。しかし別に甘い物が嫌いなのではない。
「ただ苦いコーヒー飲んでシャキッとしたいんだよね、お昼の気分転換にさ」
「ふーん。でも変なの。自販機なのに間違って出てくるの?」
「うん。二日続けてだし、たぶん中に缶を入れる人が間違えたんだと思うんだ」
「そういうのって言えばお金返ってくるんじゃないの?」
 自動販売機には業者の連絡先も記されている。もちろん、連絡をすれば何らかの補償があるかもしれない。
「とはいっても、面倒だしさ。次の補充待つ方が早そうだし」
 自販機の補充周期は知らずとも、食品であるし、さほど長い期間放置することは無いことは分かる。
「ふーん。でもそれ飲まないんでしょ?」
 足をぶらつかせながら、少女は首をかしげる。子どもらしい仕草だが、男は見ていない。
「昨日は飲んでみたけどね。やっぱ甘くてシャキッとしないよ」
 とはいえ昨日も今日も休日であり、別に気分を入れ替える必要は無かった。
「そうだ、よかったら君が飲む? 僕は飲まないし」
「え、いいの?」
「うん。あー、でももう温くなってるかも」
「ううん、ありがとー」
 水滴まみれの缶を手渡すと、少女は嬉しそうに頬をゆるめた。男は男で、将来こんな娘が欲しいなとか、でもそのうちお父さんを嫌いになるのかなとか、勝手に想像していたりする。
 プルタブの開く音が心地よく鳴る。仄かに甘い香りがして、少し柔らかい空気になるように感じる。
「んーっ、美味しい!」
「そっか。そりゃ良かった」
「でもほんといいのかな……。みー太探すのも手伝ってもらったのに……」
「ああ、いいって。僕もなんか楽しかったし。僕の子どもの頃思い出しちゃったよ」
「お兄さんの子どもの頃?」
「うん。ああやって草木の中に入って虫取りしたりさ。今の子どもってそういう遊びはしないのかな」
「男子はよくやってるかも」
「ああ、僕らの頃も女の子はあんまりだったな」
「でも結構みんな公園とかで遊んでるよ? そりゃゲームとかもするけど」
「へえ。あんまり変わらないもんだね」
「大人の人はどんなことして遊ぶの?」
 大人の遊び……いやいや。
「そうだなあ。遊び、って言われるとあんまりだけど……。職場のみんなとご飯行ったりカラオケいったりくらいかも。ポータブルのゲームやってる人は最近多いかなあ」
「私もカラオケ行くよー。でもお金かかるからあんまりいけないんだよねー」
 確かに子どもの料金でも、お小遣いでは少し厳しいだろう。かといって、大人は大人で深夜料金になったりで月に何度も行けるほど稼ぎがあるわけでもない。
「大人の遊びはお金がかかるからね……。流石に公園で遊んだりすることなんて無いからさあ」
「大変なんだねー、大人も子どもも」
「そ、大変なの。ま、だから久々にこんな休日過ごせて楽しいよ」
「そっか、じゃあこのカフェ・ラテに感謝だね!」
 その言葉は、男にひどく響いた。
 どこか子どもらしい素直な発想に感じた。
 いつもブラックコーヒーばかり飲んで、無理にでも気持ちを仕事に向けてきて、後悔はしていないのだ。むしろ、それで仕事は順調であり、人間関係もうまくいっている。
 ただ、こういう時間を過ごすこともまた、いいものだと思えたのだ。たまたまカフェ・ラテが吐き出されたことが、こうして少女との出会いを生んだ。そんな考え方が、純粋に羨ましく感じた。
「あれ、どうしたの?」
 男は不意に立ち上がり、少女は尋ねた。
「ちょっと、ね」
 財布を取り出し、男は自販機に百二十円を入れる。
 いつも買うブラック・コーヒーのボタンを押して、出てきたのはやはり、カフェ・ラテだった。
「ちょっと、飲みたくなってね」
「ふーん。変なお兄さん」
 昨日とはまるで違う味に感じられるカフェ・ラテを一気に飲み干す。
「さ、猫探しの続きをしようか!」
「あー、ちょっと待ってよっ」
 少女も慌てて缶を空にして、ごみ箱には二つのカフェ・ラテが捨てられた。
 初夏の日差しの下、どこか柔らかい空気の中で、二人は再び茂みへと踏み入れた。