募金に関して
2011年04月27日 14:04
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この言葉達に、想いを託します。

書けば何か届くと、それだけを信じて書きました。

あ、地震だ。という認識と共に、体がゆらゆらと少し揺れて。
いつもより強いな。いや、今まで経験した中で一番かもしれないと、ただぼんやりと思った。
目の前に座っている母親も、そう動揺した様子はない。
おそらく俺と同じで、こんな地震すぐに終わると思っていたのだろう。
まぁ実際俺の地元では、予想通りすぐに終わったわけなのだが……。

まさかその地震で東北や関東があんなにも大きな被害を受けていたなどとは、正直思いもしなかった。





東北関東大震災。そう名付けられ、連日流れる津波の映像や被災地の映像を前に、胸を痛める日々がもう何十日も続いている。だが俺の胸には、なぜか痛みよりも焦りや苛立ちの方が多く積もっている気がしてならない。それもこれも、『リポーター達は報道の準備だけでなく、支援の準備もちゃんとして被災地に向かったのか?あの有名人は何か別の目的もあって支援に向かったんじゃないのか?花見は自粛した方がいいのか?電気は蓄められない。関西からは電気は送れないから節電しても無駄。って本当なのか?募金の以外に何か力になれることはないのか?俺なんかが大した知識もなく被災地に行ったところで、迷惑になるだけなんじゃないのか?』などといった(前半の方は疑いすぎのような気がするが)ことが絶えず頭をめぐっているからである。

「あー…。」

何かは、したい。そうは思うのに、何をしても裏目に出る気がして、これというものが見つからない。他国もあんなに力になってくれようとしている(これも何か別の目的を含んでいるのかもと俺はまた馬鹿みたいに疑ってしまうが…)というのに。同じ国にいる。それも、行こうと思えば行ける距離にいる人間なのに、できることが分からない。

「馬鹿だよなぁ、本当に。」

そんな自分に腹が立つ。今この瞬間、馬鹿だと嘆く自分にすら、腹が立って。馬鹿だと嘆いている暇があるなら何かしろ!と、叱ってみるけれどやっぱりこれといったものは見つからない。もちろん、(無駄だったとしても、偽善だと言われても構わないと思い)節電や募金は地味にやっているので、まったく何もしていないというわけでもないのだが。

「何かないかなぁ。」

何か、できること。少しでいい。もうこの際、自己満足でもいい。何かしたい。何かできることはないか。そう思いながら、日々を過ごしている人間が少なからずここに一人はいることを。こんなことが本当に被災地の方々の力になるのかな?と思いながらも、節電や募金をしている人間が日本中にいることを。世界中のどの国もが今、(おそらくは行ったこともない)被災地の人々のことを気にかけていることを。少しでも伝えたい。少しでも知ってほしい。なぜなら、俺ならきっとそれだけで、頑張ろうと思えると思うからだ。

日本が、世界が、一日、一分、一秒でも。

被災地のことを。

自分のことを。

考えてくれている。

何かしようとしてくれている。

それは…きっとすごいことだ。

この上もなく、すごいことなのだ。

「それを…伝える。」

思っているだけじゃなくて、伝える。誰かが。誰が?俺…でもいいのか?もしかしたらもう誰かそういうことを言った人がいたかもしれなくても?それでも?(いやいや、俺が伝えなくても誰か伝えるだろう!)けど、そう思っているやつが大半だったらいったいいつ伝わるんだ?もしかしたら伝わらずに終わったりするんじゃないのか?

「あ〜…!もう!」

それは駄目だ。ってかそれはなんか俺が嫌だ。伝わらずに終わるなんて、そんな気持ちはもう“ない”のと同じようなものじゃないか。それは駄目だ。よくわからんが絶対によくない!だってそうだろ!?絶対に俺だけじゃないんだよ!考え過ぎて何したらいいかわからないやつって!

「なら書く!俺が書く!」

代表でとか偉そうなことは言わないが、確かにこんなことを思っている俺がいることを誰かが知って。何かを思ってくれればいい。

このくらい俺でも書けるとか。
なんか馬鹿っぽいなぁとか。
そんなんじゃ頑張ろうなんて思わないよとか。
そんなもんでも構わない。

書かなければ、きっと始まらないから。

だから俺はありのままを書く。
嘘なんて一つもない、なんてことは言えないけれど。
それでも、伝えたいことだけは伝わるように言葉を選んで。


言葉の力を、信じて。


この言葉達に、想いを託します。