募金に関して
2011年04月16日 16:29
作者:動野たけのこ
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ひとひら

お忙しい中協力して下さった皆様一人一人に、心からの感謝を。 そして、これからの長い復興期間に向けて、立ち上がる日本という国に願いを込めて。


 桜の木の世話は意外に大変だ。時期に合わせて肥料を施さねばならない。弱っている木には多く、健康な木には控えめに、根からの距離も適度におかねばならないし、栄養の配分もきちんと考える必要がある。虫はこまめに取り除き、場合によっては薬剤を撒く。伸び過ぎた枝は剪定する。そうそう、芽を餌とする鳥の対策も考えておかねばならない。
 しかし、最後の鳥対策、これだけは今のところ、実行に移したことがない。なぜなら、この桜たちはずっと芽を吹いていないからだ。

 僕が桜の世話を始めたのは、あの忌まわしい戦争が終わり、このあたりが何もかも滅茶苦茶、一面の焼け野原になってからだった。瓦礫と硝煙の中で、僕は真っ黒になった桜の木に水をあげ始めた。「もうその並木は死んでいる」と人々に言われながらも、僕は必死になって世話をした。

 あの戦争から、春になってもこの桜並木は、花をつけなくなってしまった。毎年毎年、一面の桃色で住民の目を楽しませていたはずの、ソメイヨシノ。まるで桜の木の中の何かが、ぷつりと切れてしまったかのように、じっとその息を殺しているのだ。

 町の小さな印刷会社に勤めていた僕は、仕事が終わると毎日桜のようすを見に来た。花どころか、葉の一枚もつけやしない。何十本という桜が、無表情のまま立ち尽くす、寒々とした光景がいつも広がっていた。だけど、僕はその光景も好きだった。なんだか、この無愛想な桜たちが気に入っていた。たとえ僕の思い通りに花をつけなくとも、彼らはもう友達だった。

 僕は変人と呼ばれた。あんな死んだ木々に花がなるわけがないのに。怖がって僕に近づかない人もいた。悪い噂も立った。僕が戦時中に特需で設けたお金を、桜の木の下に埋めて隠しているから、あんなに木々を大事にするのだ、とか。桜の木の下に埋めた死体を、誰にもばれないように監視しているのだ、とか。いやいや、世間の人々の想像力には驚かされる。もっとも、桜の木の下に死体が埋まっているなら、もうとっくに美しい花が咲き乱れていてもよさそうなものだが。

 やがて季節は巡り、戦争を知らない子どもたちが生まれた。彼らは僕を「花咲かじいさん」と呼んだ。「花咲かじいさん」、なかなか悪くない名だ。もっとも彼らは、僕が本当に花を咲かせられるとは根っから信じていないようだった。要は、揶揄するためにつけたあだ名であろう。

「花咲かじいさん、今日も桜の世話かよー?」
近所のわんぱく坊主が通りがかりにはやし立てる。この頃はもう、小学校は立派に復興し、子どもたちは不自由ない生活を送れるようになっていた。
「うちのママが言ってたぜ、桜なんて咲くわけないってー」
「ああ、うちのパパも言ってた。そんで、花咲かじいさんはちょっとおかしい人だから、近づいちゃダメって言われてる」
「あはは、聞こえるぞー!」
 子どもたちはわざと僕に聞こえるような大声で言うと、散り散りに走り去った。ああいったことが楽しい年頃なのだ。

 ある日僕は、一人の女の子が桜の木の陰で泣いているのを見つけた。
 彼女の顔には見覚えがあった。いつのもわんぱく坊主の一団にいる、気の弱そうな静かな女の子だ。僕はどうして泣いてるの、と声をかけた。女の子は、あのねあのね、誰誰ちゃんにいじわるされたの、と息を継ぎながら言った。

「なるほど、いじわるされたのか。……それじゃ、気晴らしに、桜の世話でもやってみるかい」
 僕は思いつきでそんなことを言った。実際、小さな子供にやれることなどほとんどないのだが、放っておくわけにもいかないし、何かしていた方がこの子の気も晴れるだろう、そう思ったのだ。
 しかし、意外に彼女は働き者だった。僕は木の周辺の雑草抜きをお願いしたのだが、3時間余りで、並木に群がっていた雑草の多くはその姿を消したのだ。
「よく頑張ったね。凄いよ」
「……ありがとう」
 女の子は泥だらけになったが、とても嬉しそうに笑っていた。ちょうどその時、女の子の母親らしき人が近づいてきた。探していたのだろう、彼女の姿を認めると、顔を崩して駆け寄ってきた。
 女の子も笑顔で母親に駆け寄る。僕は彼女の今日一日の功績を母親に話してあげようと思ったのだが、彼女は僕の方に顔を向けると、物凄い顔で怒鳴ったのだ。
「うちの子に、余計なことをやらせないでください!」
 ――余計な事をやらせないでください。
 彼女はそう言った。そして足早に立ち去った。

 僕はそれからもずっと一人で桜並木の世話をした。時が経つと、やがて世間では景気が良くなり、高度経済成長期を迎えた。出版業の隆盛により僕の印刷会社も大きくなり、それなりのお金が手に入った。僕はそのお金で、よりよい肥料を、よりよい薬剤を購入し、根気よく桜の世話を続けた。

 特に、一生懸命頑張ろう、だとか、負けるもんか、だとか、意識したことはない。そんな情熱、今さら僕には必要なかった。ただ、日々の仕事の一環として、これをしないと落ちついて帰れない、そんな生活習慣になってしまっただけのことだった。

「手伝いましょか」
 ある日、僕は突然後ろから声をかけられた。戦争から30年近くが経っていた。背後には、腰の曲がったお婆さんがひとり。ニコニコしながら、枝をいじる僕のことを見上げている。
 こうして桜の世話をしている最中に声をかけられたのは、実に初めてのことだった。
「わしらも昔はこの桜、好きじゃったもん。なかなか花は咲かんけど、あんた見てたら、世話してやりたい気持ちになってなぁ」
 聞くと彼女は、戦争中に家族ごと疎開し、そのまま遠方に住みついてしまったが、この歳になって生れ故郷に戻ってきたのだという。そして、咲かない桜を懸命にいじっている僕の姿を発見したというわけだ。
「おばあさんの方が昔から、この桜を知っていたわけですね。すいません、ではよろしくお願いします」
 僕はおばあさんに、やはり雑草抜きなどの簡単な作業をお願いした。いつかの女の子より、ずっと作業は遅かったし、途中で見ていてハラハラする場面もあったが、それでもひとりで世話をしているときとは、ちがう手ごたえがあった。

 翌日もおばあさんはやってきて、黙々と仕事を手伝ってくれた。僕におにぎりまで作ってきてくれた。翌日も、その翌日も。さすがに仕事に疲れると、おばあさんは桜の根元にちょこんと座り、僕に色々な話を聞かせた。子どもの頃のこと、戦時中のこと、それからのこと。僕は桜の世話をしながら、この思わぬ協力者の人生に、思いをはせた。

 その年の春も桜は咲かなかった。だけど、協力者は増えた。おばあさんはいつの間にか友人を呼び、桜の根元でお茶会を始めた。花のついていない桜の花見。傍目にもわびしいものだったけど、彼女たちはとても楽しそうだった。僕はその笑い声を背に世話を続けた。

 何人かの若者が、手伝ってくれるようになった。やっていることに意味があるかどうかはさておき、ずっとひとりで大変そうだから、だそうだ。僕は彼らに何だか見覚えがあるような気がした。僕をからかったわんぱく坊主や、いじめられて泣いていた子も、その中にいたのかもしれない。

 やがて、多くの人が入れ替わり立ち替わり、僕のもとを訪れては、世話を手伝ってくれるようになった。その頃になって、僕は再びあの懐かしいあだ名、「花咲かじいさん」と呼ばれるようになった。だが、今度は揶揄の意味合いを含んではいない。本当に花を咲かせようとしていることを人々が理解したことと、僕が本当にじいさんになってしまったことが、その理由だ。

 時は流れ、世の中は変わり、僕の周りの人々も変わった。僕は会社を定年退職した後も、桜の世話を続けた。多くの人が町から出て行ったり、町に入ってきたりを繰り返した。桜の世話を手伝ってくれたおばあさんは亡くなり、若者たちは町から姿を消した。僕だけが、いつまでもここに残り続けたのだ。

 ふと、思う。

 もし、僕があの戦争以降、この桜の世話を始めることなく、他の多くの人々のようにここを出て行っていたら、どうなっていただろうか。この桜を見捨て、全く新しい何かを始めていたら。そこには全く違う人生があったのだろうか。

 いつの間にかうとうとしていた。まぶたの向こうに小さく光が見えた。春だな。僕は小さくつぶやいた。

 僕は今自分が、地べたに寝転んでいることに気付く。ぽかぽかとあたたかい陽光が顔に当たるのを感じる。どうやら桜の世話をしている途中に、疲れて眠ってしまったらしい。あまりに眠いので目がうまく開かない。僕は立ち上がろうとする。だが、疲れ過ぎているのか、それすらままならない。

 そして僕は気付く、僕の周りからいくつもの声が聞こえるのを。子どもの声、大人の声、お年寄りの声、若者の声、男の声、女の声……。どれもみな楽しそうだ。この桜並木に、多くの人々が集まっているのだ。
 僕は自分の頬に何かが触れるのを感じた。それは薄くて軽く、いい匂いがした。
 花びらだ、と僕は気付く。
 一面に、桜の花の香りが漂っていた。
 僕はなんだかすごくいい気もちだった。起きるのをためらってしまうほどに。このまま、もうひと眠りしたいと僕は思った。
 僕は耳を澄ます。周りの声はどんどんにぎやかになっていく。あっちの木の下では、あのおばあさんが、お茶会を開いているな。こっちの木の下では、いじめられた女の子が泣いている。後で慰めてあげなくちゃ。そっちの木の下では……、ああ、若者たちが今日も木の世話を手伝ってくれている。

 僕はそっと、あたたかなひだまりの中に身を任せることにした。別に目が覚めずともよい。これだけ多くの人に愛されているのだ、桜の木々も、もう僕の助けなど必要ないはずだ。あとは毎年、あの美しい花を、ここに住む人びとに見せ続けてくれれば、もう僕の望むものは何もない。

 ひとひらの花びらが、僕の頬を優しく撫でて落ちてゆく。